校長室から


 

昨年度から生徒の実践目標のひとつに「粘り強くやり抜く力を付ける」というのを掲げています。生徒が中学校卒業後、自らが自らの道を切り拓いていくために必要不可欠な力として目標としているのですが、アンケートで「粘り強くやり抜くことができる」の設問にとてもあてはまると答えた生徒の割合は38%という結果でした。10人中約4人が粘り強く頑張っているからよしとするのか、6人はできていないからダメとするのか評価が分かれるところだと思います。

この「ねばり」について、哲学者で教育者でもある森信三先生はこんなことをおっしゃっています。

『「ねばり」を他の言葉で表すと「根気」とか「意志」という言葉にあたる。同じ方向を示す言葉であるけれども、よく吟味するとそれぞれの趣が違っている。ひとつの仕事を仕上げる場合、これを仕上げるという決意は「意志」という言葉が最もふさわしい。しかし実際に中断しないで続けて行くには「意志」でもいいが「根気」という方がよりふさわしい。ところが人がひとつの仕事を始めてからそれを仕上げるまでに、大体三度くらい危険がある。三割から三割五分やったところで、飽きがくることがある。この第一の関所を突破するには「意志」と言う言葉が一番ふさわしい。次に六割から六割五分あたりにくると、へたってくる。今度のへたりは前よりひどいのが常である。この第二の関所になると心身ともに疲れているので、七,八割の人はへたりこんでしまう。そこでその際起ち上がるのは「意志」とも言っても良いが、「根気」という方がもう少しが実感に近い。そこで「根気」を出して第二の関所を乗り越えたが、また仕事が八割前後になると疲れがひどくなり飽きが来て一息つきたくなる。でもそこで一息ついてしまったのでは仕事は成就しない。
 「ねばり」という言葉が独特の意味を持ち、その特色を発揮するのはまさにこの第三の関所においてである。富士山登山で言えば胸突き八丁というところで、山頂を眼前にしながら心身共に疲れ果て仕事の進みはすこぶる遅くなる。エネルギーの一滴さえも残っていないという中から、大猛勇心を奮い起こしてまだ残っているエネルギーをしぼり出して、最後の目標ににじりににじって近寄っていく。これが「ねばり」というものの持つ独特の特徴である。「ねばり」というものこそ仕事を完成させるための最後の秘訣であり、人間としての価値も最後の土壇場でこのねばりが出るか否かによって決まると言っても良い。百人中九七、八人までが投げ出すときただ一人ねばり抜く力こそついに最後の勝利を占めるのである。』と。
 4月からNHKで「新プロジェクトX~挑戦者たち」が始まり、毎週楽しみに見ています。旧シリーズからのファンであり、授業でも映像をよく使っていたことを思い出します。この番組の主人公に共通するのはまさに森信三先生の言う「意志、根気、ねばり」だなと改めて感じています。冒頭の生徒アンケートで四割近い生徒が粘り強くやり抜いていると肯定的に自己評価したことは、生徒の意識としてはかなり高い数値ではないかと思ったところです。

最後に森信三先生は「現実の人生そのものの上に発揮できないようでは、まだ十分とは言いがたい。この点諸君の深く工夫のあらんことを切望して止まない。」と講義を締めくくられました。生徒達のこれからのねばりと工夫に期待したいところです。

参考「修身教授録」(もり) 信三(のぶぞう)