スーパー神楽『日招き』題材について その昔、本校が面している「音戸の瀬戸」は、ひき潮の時には大岩まじりの砂地が現れ、向こう岸まで磯を伝って歩いていけそうな桟橋であった。また、満潮になってもわずか1メートル足らずの水深で、大岩が暗礁となり、急流が渦をまいて、船が通るには非常に危険であった。約八百年前、このような「音戸の瀬戸」を切り開いたのが清盛である。平清盛は、平家一門が厚く信仰した厳島参拝と日宋貿易のために、1164年10月から翌年7月にかけて約10ヶ月間で「音戸の瀬戸」を完成した。この大土木工事は、激しい潮流と戦う大変な難工事で、2008万両の費用と述べ6万人の労力を注いだという。 当時大きな土木工事には、人柱として人間を犠牲にするのが習慣であったが、清盛は人柱を残酷で無益であると考えた。そこでその代わりに、小石にお経を書いて海に沈めたという。清盛は,当時48才であった。 地域には、これにまつわる「日招き」伝説や「にらみ潮」伝説、平清盛にまつわる数々の伝承などがある。日招き岩、清盛の日招き像、清盛塚なども残っている。創作スーパー神楽「日招き」は、これら地域の伝統や伝承を元にストーリーをつくった。また地域には、かつては毎年であったが現在は5年に1回行われている,清盛塚の前での清盛祭がある。清盛祭での大名行列には、当時の工事の様子を伝えていると思われる踊りも残っている。 そこで祭礼の祭りばやしをアレンジした旋律にあわせて、清盛祭の踊りやかけ声も参考にしながら、舞いをつくった。さらに舞台装置には、生徒達の新しい感覚を吹き込んで、マルチメディアを使用した。「創作スーパー神楽」と名づけられたゆえんである。神楽創作と練習に際しては、祭りばやしの指導者、清盛祭の指導者、神楽に堪能な地域の専門家などに指導をあおいだ。衣装や楽器についても、地元の宮司の協力を得た。本題材は、郷土の姿に学ぶことを通じてはぐくんだ生徒達の郷土愛と伝統文化を尊ぶ心が、地域から生み出し、未来に向かって発信する作品といえるものである。 |